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大阪高等裁判所 昭和26年(う)232号 判決

控訴人 被告人 石橋芳一

弁護人 森誠一

検察官 舟田誠一郎関与

主文

原判決中被告人の有罪部分を破棄する。

被告人を懲役四年に処する。

原審の未決勾留日数中二百十日を右本刑に算入する。

原審及び当審の訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人森誠一の控訴趣意について。

論旨は第一、第二、第三に分けてあるが、要するに、被告人は責任能力者ではないにかかわらず、原審は完全な責任能力者であると認定したのは失当であるというに帰着するのである。

刑法は、精神の障碍により是非善悪を弁識する能力またはかかる弁識に従つて行動する能力を全く欠く者を心神喪失者として罰しないもの(責任無能力者)とし、右能力を全く欠く程度ではないが著しく低減している者を心神耗弱者として刑を減軽すべきもの(限定責任能力者)としており、被告人が完全な責任能力者であるかそれとも責任無能力者または限定責任能力者であるかの判断は、一つに裁判官がなすべき問題である。すなわち、精神に障碍があるかどうか、またその程度如何について、鑑定などの手続によらないでも他の資料で常識的に容易に判定できる場合があり、また特別の知識経験を有する専門家の力をかりなければならぬ場合といえどもその程度如何によつて右責任能力の三種類のいずれに当るかの終局的判定は裁判官に留保されているのである。しかしながら、精神にどの程度の如何なる意味の障碍があるかということはそれ自体きわめて微妙な問題である場合が多く、いやしくも専門家の意見を参照する場合には、これを十分に尊重検討しなければならないのであつて軽々しく常識に頼ることは危険である。

ところで、原判決は、鑑定人長山泰政作成の鑑定書同人の供述の外被告人の原審における供述態度ならびに被告人の供述調書によつて、被告人は本件犯行当時心神喪失または心神耗弱の状態にあつたことを認めがたいと判断している。そこで、右鑑定書を精査してみると、同鑑定書は、本件記録を閲読し被告人の実母から被告人の家系、本人歴を聴いて参考としつゝ被告人の身体を検診し、その結果を総合して作成されたものであり、その結論として一、被告人は軽度の精神薄弱(魯鈍の程度)を伴う精神病質人(性格異常者)特に性的精神病質人と診定する一、被告人は精神過敏にして容易に感情は興奮し、往々これに継発して意識の障碍を発呈す。これは感情と関係深き自律神経←→間脳の系統の機能の過敏並に不安定に因るものならん一、公訴事実第一(昭和二十四年六月二十一日)及び第二(同年六月二十八日)の犯行に関しては被告人は性的刺戟に対し強き性的衝動が起り、性慾充足の目的で計画的に性的犯罪を行いたるものである。然し被告人はその犯行過程において次第に情動が激しくなりその為強姦の行為中は所謂夢中(軽度の意識溷濁状態)となり為たるものにしてこの間は自己の行為に対する是非善悪の弁識が著しく困難となり為たるものと認む、という記載があり(訴訟記録二九四丁)、またその説明中に、被告人の犯行を見ると、性的刺戟に対して異常に強き性的衝動が起り、この性慾を充足せんものと計画的に被害者を空家に連れ込んだ、この時は尚事物の理非善悪の弁識能力はあつたものと見られる、然しこの場合でも既に性的興奮状態にあつた為に行為に対する抑制力は殆んど欠けていたと思われる旨の記載がある(同二九三丁)。

このように、軽度ながら精神薄弱を伴う性的精神病質人であつて容易に感情が興奮し往々意識の障碍を続発する者が、性的刺戟を受けた場合、性的衝動が起りこれを抑制することが著しく困難となり姦淫行為に入り軽度の意識溷濁状態に陥るものと認めることは決して不自然ではないのであつて、そうだとすれば、それは完全な責任能力者ではなくて、まさに心神耗弱者であると断定するのが相当である。この場合被告人の行為が計画的に発足したという外形にこだわつて右の結論を左右することは妥当でない。しかし、また弁護人主張のように心神喪失者であると認定するのも相当でない。もつとも、当審鑑定人堀見太郎の鑑定書中には一、被告人の犯行当時の直前までの数年間の精神状態は痴愚なる精神薄弱、癲癇、性慾異常なる疾患に罹り責任行為を甚だとり難い状況であつて、犯行当時交接準備行動である陰部や乳房を触れる行為まではかかる状況が続いたものと考える。二、狭義の交接行動の時期中は夢幻様朦朧状態なる性的異常興奮状態であつて責任行為を全くとりえない状態である。との記載がないでもないが、仮に右狭義の交接行動の瞬間にそのような精神状態であつたとしても、その先行行為を含めて姦淫行為の全過程について法律評価をする場合には、すでに交接行動を決意しそれに向つて行動を進めるに当つて前掲精神状態であつたならば全体として心神耗弱者の行為と解するに妨げとなるものではない。これを要するに、被告人が原判示強姦行為当時心神喪失者であつたという主張は採用しがたいけれども、心神耗弱者であることをも認めなかつた原判決は、とうてい誤認たるを免れず、この誤認はもとより判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、結局原判決は刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十二条により破棄さるべきであり、本件はたゞちに判決ができるから同法第四百条但書に従い更に裁判をする。

原判決の認定した被告人の所為はいずれも刑法第百七十七条前段に該当するが、被告人は右各犯行当時敍上のごとく心神耗弱の状態にあつたものと認められるから、同法第三十九条第二項第六十八条第三号により減軽し、以上は刑法第四十五条所定の併合罪であるから、同法第四十七条第十条により犯情の重いと認める原判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で被告人を懲役四年に処し、同法第二十一条刑事訴訟法第百八十一条に則り主文のとおり判決をする。

(裁判長判事 荻野益三郎 判事 梶田幸治 判事 井関照夫)

弁護人森誠一の控訴趣旨

一、原判決には刑事訴訟法第三百七十八条第四号の「理由のくいちがいがある」。

二、原判決には刑事訴訟法第三百八十三条第一号の「再審の請求をすることができる場合にあたる事由がある」。

理由

第一、被告人が完全な責任能力があるとし、且つ刑法第十四条の法定加重をなし懲役六年に処したのは理由齟齬している。

原判決は被告人の本件犯行当時心身喪失の状態にあつた旨の原審弁護人の主張を却け其の理由として

一、被告人の原審公廷に於ける供述、その態度 二、被告人に対する司法警察員作成の第一回乃至第三回各供述調書 三、鑑定人長山泰成作成の鑑定書 四、証人長山泰成の原審公廷に於ける供述 を総合し、被告人は本件犯行当時心身喪失の状態にあつたものとは到底認められないのみならず、同じく心身耗弱の状態にあつたとも認定し得ないと判示し、引続き「刑法第十四条の制限内で法定の加重をなした刑期範囲内で被告人を懲役六年に処する」旨の理由を附した。

然しながら、鑑定書によると判示第一及び第二の犯行に関しては、「被告人は性的刺戟に付き強き性的衝動が起り、性慾充足の目的で計画的に性的犯罪を行いたるものである。然し被告人はその犯行過程に於て次第に情動がはげしくなり其の為め強姦の行為中は所謂夢中(軽度の意識溷濁状態)となりたるものにしてこの間自己の行為に対する是非善悪の弁識が著しく困難となりたるものと認む」と鑑定した。更に右鑑定人の原審公廷に於ける証言(第十五回公判調書中)を要約すると次の通り指摘することが出来る。

一、被告人は医学上の魯鈍者で、その智能程度は十四才か十七、八才位である。魯鈍な人間は抑制力が弱いので良く性的犯罪を犯す。

二、被告人は精神薄弱者であり、且つそれは先天的なものである。

三、強姦の場合被告人は一般人よりも性的興奮状態が強い、そして興奮状態が強いと云うことは精神が不安定で少しのことで興奮し精神混濁状態と一致する。

四、被告人の犯行当時の精神状態は或る一定のことに集中しそのうちに一種の幸福感といつたようなものを感じ、その時には一種の混濁状態であつた。

固より事実の認定は証拠により証拠の証明力は裁判官の自由な判断に委ねられるのである。故に先づ犯罪事実とそれを認定した証拠について論及しよう。犯示第一の松田嘉多に対する侵犯事実、同第二の小田瞳に対する姦淫事実の孰れの認定にも原審が援用した証拠のうちに被告人の原審公廷に於けるそれぞれの供述、被告人に対する司法警察員作成の第二回、若くは第一、第三回各供述調書に基く自白、一方各被害者等に対する司法警察員作成の各供述調書等を彼此検討すると二つの相反する共通事実がある。その一は合理的、且つ合目的的であるところのもの、即ち警察職員たることを詐称又は装い、尤もらしい理由を誤信させて犯行現場に誘導した点、その二は非合理的且つ非目的的であるところのもの即ち十八才の少女十三才の幼児を選び、情欲の満足を期し、犯行現場を同一にし、発覚逮捕の危険を度外視した点(前刑事犯の被害者も亦十才、九才、十一才、十才の四幼女であつて、其の犯行場所も三回は同一場所である。)である、右のうちその一こそは前記長山鑑定人の所謂計画的な点であろう。そしてこれ故にこそ、被告人の責任能力を通常人であると判断した所以と思はれる。如何にも裁判は被告人の所為に付き、その犯罪構成要件の存否を勘案し、その法定の刑を適用するのである。然しこの場合、只構成要件に該当する様な事実の存否を確め法定の刑を適用するだけではない。実質的にいえば、構成要件に該当する様な事実の存否を確めつつその違法性と道義的責任とを求めるのである。即ち裁判に於ける心証形成であつて、法律点に関する心証をも含めたところの事実点に関する心証の形成行為である。具体的にいうならば、前掲長山証人(鑑定人)が被告の犯行当時の精神状態は一種の混濁状態であつたとの証言に引続き、裁判長と証人との問答記載は、問 この状態を医学的には治癒させられるか、答 一寸出来ないと思います、又原審弁護人と証人との問答記載は、問 証人としては被告の場合どう考えられますか、答性的犯罪防止という点から見ますれば断種よりも去勢する方がよいと思います。となつている。此の場合「被告人が姦淫した事実は相違ない。強姦罪の構成要件に該当する。そして其の犯行時に於ては精神の混濁状態であつたが一方被告の犯行は計画的且つ合目的的なところがある。それに医学的に治癒出来ればまだしも「一寸治癒出来ない」では、「社会不安が除去されない」との心証のもとに実体的な形成が展開されて行つた。そして、これは「責任能力」に考えさせられる点がないでもないが、社会不安は除去されない。「社会的隔離の要がある」と心証されつゝ「懲役六年」の合議にまで、実体的な形成として進んだのである。仮りにそうでないとしたならば、被告人の責任能力を完全なものとしながら、前刑の罪質並びに刑期からは到底「懲役六年」は結論され得ない。この意味に於て、原判決は其理由一貫せず、くいちがいがあり、所謂苟合妥協的なものといつても過言であるまい。昨年改正実施されている様な米国紐育州の刑法の如き少年の性的犯罪に対する終身刑を長期とする不定期刑の立法に欠くるところがあるにしても、本件の如き妥協的な刑の量定は刑法の道義的性格を否認すると共に延て新憲法に於ける人権擁護の精神を没却したものと謂わねばならぬ。

第二精神鑑定書の証拠価値如何

原審判決に至るまでには其の心証が形づくられる根拠の一つとして本件犯行の動機、被告人の素質、性格或はその行為、環境等をも審理され、且つ其の中心として被告人に対する精神鑑定が命ぜられた。そして其の鑑定書も原審に顕出されたのである。それで右鑑定書の証拠能力に付て少しく検討しよう。

鑑定書の検診録は、家族歴、本人歴、現在症に大別されているが「結論」としては生理学的にも精神病理学的にも、具体的なものを示唆する何ものもない。寧ろ「結論」としてよりも結論に至る資料に有意義なものを包蔵している。

一、「父系に四人の精神病者三名の大酒、脳溢血並に癲癇者」があり「被告人は父系から精神神経病的遺伝因子を負荷している」といゝながら、被告人の母が父即ち夫から感染させられた重症な梅毒を有し、此等の遺伝負因に立つ被告人に進行性麻痺が想定され得るに血液検査等何等の検出をも試みていない。

二、精神病理学的に被告人の兄幸太郎が思春期の頃同一家屋に七、八回侵入し、最後に逮捕されたのであるが、右侵入は何れも異性の腰巻を占有するための拝物症であり、この同胞の性的犯罪の類似性を等閑に附しているほか、枚挙に遑ないほど事実無視の点がある。

次に鑑定書並に証拠として援用された被告人の原審公廷に於ける供述等に現はれた資料を摘録したい。

(甲)鑑定書に基く要点

(イ)被告人に於ける強迫神経病的衝動 (1) 「規帳面、整頓癖、洋服のボタン一つはずさず、道を歩いていてもよそ目をせず、時間もきまつて帰宅する。自分の所持品は整頓し、これに気を使う強迫観念と思われる点がある。例えば帽子をかけ、鞄をおいたのにそれを気にして何回となく掛け直し又おきなおす、非常にきれいずきで手や足をよく洗う。帰宅してもそのまま上ることはない」(鑑定書本人歴(ト)項中) (2) 病気を非常におそれる衛生家で常に体のことを気にして種々な薬を買う(右同項中) (3) 襖のかげを見て怖いと泣き影が自分を深い谷に引張つてゆく様な気がしておそろしがつた。本件犯行直前に鳥が首を絞付けられた時の様な声を出した等(右同項中)。

(ロ)性行為に於ける病的不可抗力 (1) 被告人が勤務した三和製紙社へ通勤の往復途中電車中で「冬でも自分の体が女の体に触つておるとついていつてしまうこともある。そんな時は会社を遅れるとか、遅れたらどうなるとか、人が見ているからとか、そんな事は全然考えなかつた。そんな時は胸の方が熱くなつて、なんか音楽を聞いておる様である。動悸もどきどきする。体もぬくうなる……」(鑑定書現在症、性知識及性行為中) (2) 「……自分は女の人の裸の姿を見たり、小便をしたりするところを見ると、只やつて見たいと云う気持だけになつてなにもかもわからない。ぐるりのこともわからんようになる……」(右項中) (3) 毎日の様にやる自涜行為が悪いことは知つてはいるがその時にはわからない旨の供述(右同中) (4) 判示第二の犯行事実に付て刑事に手錠を嵌められたのも瞬間気が付かず、且つ「立て」といわれてもそれが刑事だとすぐ判らなかつた旨の供述(右同(ハ)性知識と性欲との跛行中)「被告人の性知識の発達は極めて不良で男女存在のこと(性別のあること)、結婚の意義、正当なる性行為、生殖姙娠その他に関する知識は全く貧困である。この知識の貧困なことに対し性欲は比較的早期に発達し、色慾は異常に抗進しがちで性的行為は頗る不健全な形となつて現われている」(鑑定書三説明の二項中)。

(乙)原審で顕出された資料に基く弁護人の手がかり

(イ)劣等感の補償としての優越感に於ける強迫的衝動 被告人が強迫神経症的衝動に駆られることは前陳の通りであるが、他方「驚き」「喜び」の感情により性慾の異常昂進を来たすのである。本件に於て警察員たる優越感に淘然とし、その結果劣情を覚えた点に、その顕著な例を見る。被告人は幼時自宅に警察官が出入し、被告人の父親が心安くしている関係から警察官に憧れ、警察官たることを最大の希望としたのであるが、第一犯の刑を受け、あたらこの終生の希望を断念するのやむなきに至つた。偶々本件犯行直前の昭和二十四年五月初頃大阪市東区南久宝寺町電停附近で拾つた名刺の一枚に「東成署巡査吉田義治」とあることから、警察官気取りを思い立つたのである。そして自転車の二人乗りや闇屋を誰何してそれらの者が「頭を下げて謝るのを楽しみにして居た」(被告人に対する司法警察員作成の第二回供述調書同中)前科者として警察官になれない被告人の劣等感が右名刺の所持とその行使とによつて如何に優越感に駆られたか、恍惚たる被告人の所作が右供述調書中に躍如と記載されている。

(ロ)性的所作の対象に関する倒錯がある。本件被害者は十八才の少女と十三才の幼女とである。前刑犯罪のそれは十才、九才、十一才、十才の四幼女であつた。また鑑定書現在症中記載あるところによると被告人の弟(新制中学在学)に対しても目に余る猥褻所作を試み、右の所作はしかも本件犯行に極めて接着した時日である。

(ハ)被告人は性的不具者である。インポテンツを不能とするか、不感とするか、其の真の意義を表現するに苦しむが、何れにしても性欲を満足させるに通常の方式を見出し得ない男性に起り性交にのみ不能又は不感であるから(仮令オルガスムスに達しても)ペニス機能転位症と呼ぶべきであろう。弁護人は被告人に於て左の欠陥を見出した。(1) 身体生理的には(a)包茎(フイモーゼ)であり正常な性交は不可能である。(b)且つ睾丸の片方が一寸程度伸び所謂片睾丸の畸形的欠陥があり。(c)又医学上の早漏(エジヤクラチオ、プレツクス)である。(2) 精神病理的には、(a)毛髪恐怖症(ヘエヤ、ホビア)であり(b)且つ自己の陰毛を剃り、又長髪を忌む。ウヰルヘルム、シユテーケル博士は性的不具症の根源は反性的意識と性的命令との相剋に存するとした。(「男の性的不具症」一九二七年第二巻二三九頁以下)。被告人の異常にまで強い性的命令は前記身体的、精神的欠陥から生ずる反性的意識激突し(3) 被告人実弟への同性愛的傾向を帯び、(4) 異性に対する時は同性愛を思わせる思春期前発毛未だしの者を相手とする童姦症(ペド、フヰリア)となり或は(5) 性交を拒否又は恐怖し「遊廓なんかの様な場所は恐ろしいので行きません」(第十五回公判調書中被告人答弁)、本件犯行前母親が奨める結婚をも回避し自己愛的な自涜行為を連日の日課とし、時として胎内復帰願望の現われとして母親への近親姦的所作となり、気質的には吝嗇となり、前刑宮城刑務所から釈放された時、収容時に差入れられたチリ紙封筒等までそのまま保存して持帰つた(鑑定書本人歴ト項中)(6) 被告人の祖父は癲癇であり(鑑定書)被告人実兄も亦然りである、癲癇と性的不具症、そして性的犯罪の三つのつながりがあることは前掲シユテーケルの書で詳述してある。被告人の性的不具症の原因が遺伝又は環境等によるか、それは刑事裁判に於ける予後、即ち治癒の問題に関するのであつて刑事裁判そのものとしての問題に関するのではない。刑事裁判的には被告人の全パーソナリテイーから其の行為について有責であるか什うか、そして原判決がこの観点から証拠の証明力を如何にみたかに存する。

(ニ)事実上の疑義二つ (1) 第十五回公判廷で被告人は裁判長の「何故子供ばかりいたずらするのか」の発問に「年の大きい人は恐ろしいので年の小さい子にいたずらしたのです」と答えているが、右答弁は被告人が自己の劣等点を突かれての遁辞ではないかと思われる。真意は性交が出来ません。だから性交してはいけません。寧ろ去勢して欲しい(カストラチオンス、コンプレックスの意味での)のであろう。実に其証左歴然たるものがある。即ち(原審第十五回公判調書)裁判長 問 遊廓へは行くか 答 その様な場所は恐ろしいので行きません。(2) 判示第一の事実に関する被害者は姙娠中絶までやつたことになつている。然し被告人は臍の緒切つて未だマトモの性交をしたことがない。被告人の性器欠陥から没入事実も疑問である。

第三被告人に責任能力がない。被告人は性的色盲患者である。

鑑定書説明に於て次の如く述べられている。「被告人の性的犯行(公訴事実第一及び第二)を省るに被告人は第一及び第二の犯行の経緯について詳細に供述しており、この供述内容は被害者の供述内容と大体一致している。これに反し鑑定人の陳述では強姦行為そのものに関しては追想が極めて漠然としており、特に第二の少女(小田眸)強姦の時は全く夢中で(恍惚で)静かな空屋(二人の刑事の入つて来たのにも気付かず、少女の上にのつておる時手錠をはめられて始めて気がついた、と語つておるのでこの事は警察に於ての被告人の供述とそごしているのである。このそごしていることに就いては被告人は既述した通り強姦時の事に就ては明確には知らぬが警察で女が云うたことを聞かされて、そうかも知れぬと思うた」ことによるとの意味を述べておる、被告人に於ては性的刺戟に対し異常の性欲衝動が起り、強姦時には極度の興奮である所謂恍惚状態――意識混濁を伴う所謂夢幻的状態――にあつてその強姦時の追想が不確定であることは決して不合理でないと思う。勿論強姦の前後の行動に対しては意識の障碍はなかつた様である。」

右は強姦前後の行動に意識障碍はなかつたらしい。強姦時には意識混濁状態であつた。強姦時の追想は不確定である。との三つに区別される。然し強姦前後に於ける行動意識と強姦時の意識とが右の如く截然区別され得るか什うか疑問である。赤を青と視、青を赤と視る色盲者の例についていえば、彼は道路を横断する意図があり、そのために足を進める。足の運動は意図命のずる通りである。然るに赤信号を青信号なりと誤視して横断したとする。横断の計画的意図それに伴う歩行の整然さは何等変りない正常人である。故に赤信号に拘らず進行した彼が有責であるといい得るか什うかである。歩行に於て彼は意思の自由を持つが、赤を青と視ることには何等の自由をも持たない。被告人の場合強姦前後の計画或は詐術は彼が自由な意思で決定したことであろう。強姦行為そのものに付ては、彼が監房内で不可避的に行う自涜と同じく自ら辱しとは感ぜず、他を煩わすとは感じないところのものに過ぎない。彼は性交の意義を解せず、性交を回避嫌悪しつつ性交を果たすのである。恰も赤信号による危険を避けつつ赤信号を無視すると同様である。行為者が行為の責任を負うには其の行為が只単に決定されたものであるという以外に、決定されるに付その自由意思の存在を必要とする、正常な同一人と雖もその人の経験や理性によつて築き上げられた性格からして、同一の事態の下に同一の行為をするとは限らない。場合により、甲の行為をするであろうし、或は乙の行為をするであろう、赤を視ながら交通規則を侵犯することがあり、遵守することもあろう。然も色盲者は赤信号の下横断しない自由を有しない。彼、被告人も強姦行為を思い止る自由を有しない。勿論智能程度の低い被告人に於てすら低いなら低い限度に於て自らの思慮と思惟の力とによつて強姦が観念的に違法なことは判つている。本件強姦に対する悔悟と云うか罪障感といつたものは、彼の警察、検察庁、並に原審公廷の供述に示されている。だからといつて彼に其の負責能力があるとはいえない。被告人に於て違法といゝ悔悟といゝ、それは観念的なものであり、回顧的なものである。正常人であるならば思慮と思惟の力とによつて「人がら」といつたような性格が出来、この性格の時間的、場所的な表現としての特定の行為を見るのである。思慮、分別による性格にも選択決定の自由はある。性格の敍上の意味での行為としての発現にも選択決定の自由がある。別言すると、思慮分別も原因として性格、人がらは認識という媒介によつて-此場合でも選択の自由はある-行為となるのである。原因-動機-行為には、それぞれの選択の自由があつての行為なる外的結果を見るのである。飼犬が鼻先きに食物をつきつけられるとする、飼主は「お預け」と号令して摂食を制止する。飼犬は制止を破ることの不可なる所以を了解している。然し一分、二分……三分と時の経過につれて飼犬は数条の唾液を垂らす、飼主は摂食を制止することは出来ても唾液をば制止することが出来ない。彼、被告人にとつて、制止は道徳であり、法律であり、逮捕のために身を伏せていた刑事である。制止があろうと、逮捕の刑事が手錠をガチヤッと嵌めようとも、彼の性行為は行われた。彼にとつては、我関せず焉である。飼犬-食物-唾液、これは所謂条件反射で説明され得るが、被告人たる人間の場合は条件反射でも説明し得ない。それなら意思の自由、選択の自由があるかというにそうではない。禁欲の聖者と雖も夢精はあり得る。夢精は願望抑圧の結果である、この願望抑圧ですら、なお選択の自由が働いている。然るに聖者でもない彼、被告人に於ては願望抑圧以前の何ものかゞある。それあるがために鑑定人の所謂「夢幻状態」であり、被告人の所謂「そのうちに寒くなつてきた」訳である。茲に到つて彼の意思決定は何等の選択の自由を有しないことが明白である。単に直観にのみよる動物以下のものであるとさえいえる。即ち理性的認識がないので優れた選択決定が出来ない。尠くとも二者択一的な自由すらない唯一の暴行の決定のみである。被告人としては強姦の違法なことは観念的に了解している。然しそれは判示第一、第二の事実に関する松田嘉多や小田眸に暴行の場合ズロース(しかも見るを忌む毛生帯を陰蔽した)一枚の裸女、警察員の矜りと云う媒介によつて被告人の動機作用は意思の自由を全然褫奪され暴行一路の動機付けへと驀進する。原審鑑定人が「意識混濁状態」といい、前陳癲癇と同性愛との交渉並びに其の治癒の方法として催眠術が応用せられるところから見て弁護人はこの暴行瞬時の被告人の精神状態を癲癇的嗜眠状態ではないかと信ずる。斯くて客観的に違法な本件行為も被告人の人格責任から観て果たして負責にたえ得るものと断じ得るであらうか。被告人は一言にしていえば性的色盲患者である。

以上述べたところから、原判決が採つて以て援用する鑑定書等の証拠力に関し其の信憑性の再審理より竿頭一歩を進め事実の再審理を求めたい。実に刑事訴訟法第三百八十三条の再審の請求をすることが出来る場合にあたる事由がある所以である。

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